伊達家の御殿湯 青根温泉

国登録有形文化財 不忘閣

 伊達家ゆかりの御殿湯。1546年の開湯以来470年余りの歴史を誇っている。本館(明治40年再建)、青根御殿(昭和7年再建)、離れ(大正期)、文庫蔵(明治29)、座敷蔵(明治29年頃)、穀蔵(明治29年頃 平成18年改修蔵風呂に)、門(昭和前期)。与謝野鉄幹・晶子夫妻、田山花袋、芥川龍之介、古賀政男、山本周五郎など多くの文人墨客が訪れ、ここで作品創作。平成26年に8棟登録。裏手に青根湯神社がある。

 館内や御殿は宿泊者のみ見学可。女将が案内してくれる。いくつかある内風呂の中でも明治時代の穀藏を改修した檜の予約風呂は最高!本館が食事処となっており、情緒ある部屋で食事とおもてなしのお酒がいただけます。

伊達藩主の宿泊所 青根御殿と室内 上段の間


国登録有形文化財 岡崎旅館

 南棟は明治中期建築で青根大火を逃れ、北棟は昭和初期建築。平成29年に登録。 

 平成29年に国の有形文化財に登録された南棟は明治中期に建てられ、青根大火を免れました。北棟は昭和初期に建築され、保存状態も良く明治、昭和初期の旅館建築の風情を伝えています。

 現在は日帰り風呂と素泊まり宿泊可能。お風呂に浸かった後に、歴史の重みを感じる休憩所でのんびりすることができます。

現在の写真と昔の絵葉書

名号館

 旅館は2019年に廃業している

  創業は明治8年、丹野七三郎が丹野七兵衛家(青嶺閣)から分家。明治39年の青根大火での焼失を免れたと伝えられる。奥の旧館は明治前期、手前の本館は明治中期の建築と伝えられる。

 丹野家では旧館を曳き家して、旧館が建っていたところに本館を建築したと伝えている。現在内湯があるが、当時は旧館中央から渡り廊下を渡って、隣の名号湯に繋がっていたという。

 青根温泉に現存する旅館建築では最古に属するものと考えらてており、国の有形文化財に登録はされていないが、文化庁のお墨付きをもらっている貴重な建物である。残念ながら令和元年9月末日で宿の営業を終了したが。令和3年秋にカフェ&日帰り温泉として再オープン。今後、レストランとヒュッテ(宿泊所)も営業予定。さらに国の有形文化財にも登録申請を行う予定である。

青嶺閣

 現在リノベーションして 一棟旅館 星月

      (1日1組の利用者のみ宿泊可) 

 青嶺閣は明治時代に建築されたと伝えられる。もともとの名を「丹野七兵衛旅館」といい、向かいの「不忘閣」同様、400年もの歴史を持つ老舗旅館である。木造総二階建で張り出したバルコニー付の玄関が目を引く。

 

 200712月に閉館され、ほとんどを解体。現在は上記のバルコニー付玄関部分だけが現存する。

リノベーション前の写真と昔の絵葉書

青根洋館

  仙台市米ケ袋にあった明治末期の洋館を移築、青根の歴史やゆかりの文人たちの資料を展示。青根洋館の向かい側にじゃっぽの湯があり、日帰りで楽しめる青根の美肌湯です。周辺に足湯も2カ所あります。 

 青根自然の森公園内には古賀政男歌碑があります。

 なかなかオシャレな外観の建物です。 

 この洋館はもともと東北学院と仙台教会の発展に伴い、来日した宣教師たちの住宅として、明治末期に仙台市米ケ袋(川崎砂金氏の屋敷跡付近)に建設されたものと伝えられています。 

 明治34年、東北学院が「自然科学研究室青根分校」として青根温泉のすそ野に解体移築した。その後、東北学院セミナーハウスの一部として使用され、学生で大いににぎわったようです。 

 平成14年に東北学院から川崎町に無償譲渡され、現在地に資料館として移築復元されました。

 2度にわたり移築復元した例は珍しく、構造材料等、ほとんど当初の材料を使っている貴重な建物で、文化庁でも国の有形文化財のお墨付きですが、仙台にあったころの図面が現在見つからず、登録できないでいます。

 現在、青根洋館はこの地区の「観光案内所」として、お客様が気楽に休憩できる場として活用されています。1階は休憩所カフェ。2階は青根温泉の歴史や魅力、そして戦前の名曲「影を慕いて」をこの地で着想したという大作曲家、古賀政男先生をはじめとする明治、大正、昭和の文人たちの足跡を展示する資料室となっております。